|
三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーが提供している映画『動物農場』を観に行った。製作54年目にして日本初公開のこの映画は、全国でも上映映画館が2ケタに満たないほどに狭い範囲での公開だが、そのうちの1館が立川のシネマシティなので、上手いこと観に行くことが出来た次第だ。 本作品は、原作もそうだが、革命後のソ連を「実態」を、動物たちに託して描いた寓話である。そのため、スターリンやトロツキーをモデルとした動物も登場する。映画が製作された1954年はすでに冷戦期に入っており、上記のような原作でもあるため、「反共プロパガンダ映画」として捉えることが出来る。実際、映画館で配られたパンフ(『熱風』)によると、この映画の製作にあたってはCIAが資金を提供しており、代わりに内容について口を挟むことがしばしばあったそうだ。 そのような政治的背景が確かにあるものの、他方で、それらを無視して純粋にアニメ映画として作品を鑑賞することも可能である。とりわけ私のように、ソ連、共産党、社会主義の歴史の知識が乏しく、さらには1970年代前半生まれで、10代でソ連や東欧諸国の崩壊を目の当たりにした世代にとっては、「現実の社会主義国家」を理想化したり、憧れを抱いたり、あるいは憧憬を持って眺めたりする、といった感覚・感傷を持ち合わせていない。そのため私は、この映画を現実と対比させて「スノーボールを追放する場面は、トロツキーを殉教者として描いていおり、これはトロツキー賛美だ」とか「秘密警察を象徴する犬たちは、革命で死んだ者の遺児であり、同情の余地がある者として描いているのは、秘密警察によって粛清された人々を蔑ろにしている」といった、親共ないしは反共の立場から映画を批評することはないし、そもそもそのような議論を行うバックグラウンドの知識もない。 この映画について、配給元であるジブリの宮崎駿監督は、「傑作かといわれれば、そこまでの作品ではないと思う」と評している。その根拠として、独裁者となる豚の描写が浅薄である点を挙げている。監督は、自分ならナポレオンを「はじめからずるくて卑怯なやつ」としてではなく、もっと複雑な過程をへて独裁者になっていくように描く、としている。なぜなら、人間はそれほど単純ではないから、というのが宮崎監督の持論だ。特に現代においては、独裁者とそれに従う者の関係は、一見しただけでは分かりづらい関係になっている。「政治家と大衆」「社長と社員」という関係だけが映画の枠組みに当てはまるわけではない。つまり、誰でも豚の側になってしまう可能性があるわけだ。この点を象徴しているのが、この映画のキャッチコピー『今、豚は太っていない。』だ。つまり、「あなただって太ってないでしょ?」ということだ。 寓話が寓話である理由は、単に特定の史実を象徴しているからではなく、人間のより普遍的な「あり様」を描いているからだ。支配することとされることが繰り返されていることが、人間の歴史である。映画は、人間を追い出したのと同様に豚を追い出し、「誰でも立ち上がれる権利がある」と描いたところで終わる。豚が追放された動物農場がその後どうなったのか、誰にもわからない。「その後、みんな仲良く平和に過ごしましたとさ、メデタシ、メデタシ」と終わってほしい。だが、何年後か、あるいは何十年後かはわからないが、きっと、またもや革命と追放劇が起きていることだろう。そう考えるのが自然だと思ってしまうのは、悲しい気もするが。 参考: 映画『動物農場』公式サイト |
| << 前記事(2008/12/22) | トップへ | 後記事(2008/12/24)>> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/12/22) | トップへ | 後記事(2008/12/24)>> |